降り立ったのは南部町大字大向。三戸町スタートでないのは、三戸駅は三戸町内にないから。
素朴な駅前通り。
旧国道に出る。いかにもな街灯が佇む街角。
馬淵川を渡る橋長68.2mの下路アーチ橋。現橋は1962(昭和37)年に完成したもので、1978(昭和53)年の三戸バイパス開通まで国道4号上のだいじな橋だった。それ以前は木橋で、流失を繰り返していたという。カントリーサインが見えるように、この橋を渡ると三戸町に入る。
引き続き奥州街道(旧4号)を町へ向かう。熊原川北岸は大字川守田に属する。住谷橋を渡ったこのあたりはいわゆる元木平。この辺に顕著な「タイ」かと思いきや、普通に「もときたいら」と読む。
久慈町直前のカーブから北向き。
近世以来の三戸の町場の中に入る。街道北口最初の町は久慈町。地名はその通り、久慈の商人が住み着いて商売を始めたことによる。
川守田町に入る。三戸城下時代は川守田村から分離されたが、居城が盛岡に移って以降は川守田村の一部として把握されることもあったようだ。
熊原川を渡る前の最後の町。道筋はまたもやかくっと折れる。
六日町の折れを抜けると視界が開け、いよいよ三戸の核心部に迫る。
熊原川を渡る黄金橋(きがねばし)。いわれのある古い橋で、遡ること700年近く、南部12代当主・南部政行の詠んだ歌が後村上天皇に賞賛され、褒美に京都加茂川の橋の擬宝珠を模することを許されたという。現橋は2017(平成29)年に架け替えられたもの。
黄金橋を渡り二日町。看板が多く、にぎやかになってくる。
関根橋東から北向き。
関根橋袂にある「ねこ」の石像。ここ三戸は、絵本シリーズ『11ぴきのねこ』作者の馬場のぼるの出身地。その縁から、まちの至る所にねこがいる。
関根橋Sカーブの南。視界がにぎやかになってきて、街中を実感する。
ねこがたくさん。
二日町の東裏通り。三戸城下建設当初は武家屋敷地として成立した。代官所をはじめ、蔵役所、野馬役所などが置かれた。戦後まで町立病院や電報電話局、合同庁舎、消防署などが立地する官庁街であったが、郊外移転が進み、現在も残るのは町役場とNTTぐらい。
1996(平成8)年に完成した庁舎。
ここにもしっかりいらっしゃる。
二日町南端の交差点から八日町方面を向く。街道はここでまた折れる。
東西に延びる八日町。郵便局とユニバースがある。
町役場方面を振り返って。存在感を放つ初秋の名久井岳。
街中では唯一のスーパー。2003(平成15)年開業で、その前は東北SMダイエーの「三戸ダイエー」が立地していた。
町場の西端。当初はその名の通り同心が張り付けられたが、のちに商家が建ち並ぶようなった。
城跡の丘陵地は公園になっている。役場近くの小路から入ると、青々と茂る木々のなかに、城跡への道が見つかる。
城跡に鎮座する糠部神社。「糠部」とはこの地方を語るうえで重要な地名で、分割前の北・三戸・二戸・九戸郡にあたる広大な郡名。明治の初めごろ、三戸の旧南部藩士が中心となって創建された。藩祖とされる南部光行公を祭っている。
社殿。
三戸城の大手口にあたる門。現在のこの門は、1989(平成元)年にかの「ふるさと創生事業」で復元されたもの。
いかにもな建物であるが、中身は歴史資料館で、1967(昭和42)年に町が建てたもの。三戸城跡は2022(令和4)年に国の史跡として指定されたのだが、その時「史実に基づかない建物」であるとして文化庁から怒られが発生してしまい、将来的な撤去を求められている。どうなるのだろう。